香取神宮(かとりじんぐう)は、千葉県香取市香取にある神社である。式内社、下総国一宮で、旧社格は官幣大社。日本全国に約400社ある香取神社の総本社である。

祭神は経津主大神 (伊波比主命)。 神職首座は大宮司、大禰宜といい経津主の兄(子とも伝えられる)の天苗加命(あめのなえます)の子孫が香取連を名乗り首座となったが、後世大中臣氏(藤原氏)が養子に入り相互に重職を世襲した。
正月三が日には50万人以上が参拝する。


関東地方を中心として全国に分社の香取神社がある。神宮の位置する山はその形状から亀甲山と呼ばれている。 香取の神は『日本書紀』神代紀一書において葦原中国の平定に先立って天の悪神(天津甕星)を誅する神「斎主神」(『古語拾遺』には経津主神)とされている。


創建は、紀元前643年と伝えられている。『常陸国風土記』によると、神代の時代に肥後国造の一族だった多氏が上総国に上陸し、開拓を行いながら常陸国に勢力を伸ばした。この際に出雲国の拓殖氏族によって農耕神として祀られたのが、香取神宮の起源とされている。創建年が古すぎるとの異論もある。

鹿島神宮と共に蝦夷に対する大和朝廷の前線基地であり、重要視されていた。平安時代に「神宮」の称号で呼ばれていたのは、『延喜式神名帳』によると伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社だけであった。

本殿から鹿島神宮本殿は約13キロメートル、ほぼ正確な北東にある(ずれは15分未満)。鹿島神宮とともに東国三社と称された息栖神社本殿は約8キロメートル、ほぼ正確な東にある(ずれは10分未満、緯度の違いは1秒未満)。
中世においては、香取海での「浦・海夫・関」の支配権を握っていた。

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