伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は京都市伏見区にある神社である。稲荷神を祀る全国約4万社の稲荷神社の総本宮とされる。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする。
式内社(名神大)、二十二社の上七社の一社で、旧社格は官幣大社。


宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)を主祭神とし、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神(しのおおかみ)を配祀して、五柱の神として祀るが、これら五柱の祭神は稲荷大神の広大な神徳の神名化としている。稲荷神が農業の神であるために、五穀豊穰・商売繁盛・交通安全といったご利益がある。


和銅年間(708〜715年)(一説に和銅4年(711年)2月7日)に、伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)が勅命を受けて伊奈利山(稲荷山)の三つの峯にそれぞれの神を祀ったことに始まる秦氏にゆかり深い神社であるが、秦氏来住以前の原信仰が基礎となったとされる。和銅以降秦氏が禰宜・祝として奉仕したが、吉田兼倶の『延喜式神名帳頭註』所引の山城国風土記逸文(但しこの風土記は延長3年(925年)に編纂の始まったもの)には秦氏が稲荷神を祀ることになった経緯が以下の様に記されている。

秦中家忌寸(はたのなかつへのいみき)達の先祖である伊侶巨秦公は稲を多く持ち富裕であったが、稲を舂いて作った餅を的にすると、その餅が白鳥となって稲荷山に飛翔して子を産み社となった。伊侶巨秦公の子孫は先祖の過ちを認め、その社の木を抜いて家に植え寿命長久を祈った。

延喜式神名帳には「稲荷神社三座 並名神大 月次・新甞」と記載され、名神大社に列し月次・新甞の幣帛を受けた。明治4年(1871年)には近代社格制度のもとで官幣大社に列格するとともに正式社名を「稲荷神社」とし「官幣大社稲荷神社」となったが、戦後昭和21年(1946年)に神社本庁とは独立した単立宗教法人となり「伏見稲荷大社」と改称した。これは神社本庁が伊勢神宮を本宗とするのに対し大社側として別の見解を取ったためで、神社本庁との関係は良好である。

社家には学者が多く、国学者の荷田春満も当社の社家出身である。境内には荷田春満の旧宅が保存されており、隣設して荷田春満を祭神とする東丸神社(あずままろじんじゃ)がある(元は末社であったが、現在は独立した神社。学問の神様として信仰されている)。

応仁の乱の戦渦が去った15世紀後半には、神仏習合の下に伏見稲荷本願所に真言宗東寺の末寺の愛染寺が神宮寺として建立されたため、稲荷山では仏教系の稲荷として荼吉尼天も礼拝され、また愛染寺が伏見稲荷大社の社殿造営や修復、勧進、出開帳を管理していた。しかし、明治維新の神仏分離・廃仏毀釈によって1868年(慶応4年)に愛染寺や社内の仏殿、本殿内の仏像類は廃された。ただし、祭礼時の東寺神供だけは現在も残っている。

近年は拝観料不要で閉門時間が無いこともあり外国人観光客の人気が高く、平日でも多くの外国人が稲荷山を訪れている。



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